紅の騎士
どれくらい前だっただろう。
たしかあれは、ベリトが初めてディープホール内を歩きたいと言った時だったと思う。
まだ僕くらいとしか戦った事のない弟に、正直外出許可を出したくはなかった。
「でも兄さん。僕だっていずれは貴方の力になりたい。貴方がここから出ている間には、僕やフェゴがここを守りたい。だから、行かせて下さい」
身長ばかりは、兄より大きい弟に見下ろされながら必死に言われて、それでも簡単には首を縦には振れなかった。
「そうは言ってもね。いきなり一人では行かせられないよ。僕と一緒に、まずは浅い階で経験を積んでから…」
「兄さんのお手を煩わせたくはありません!一人で行かせて下さい!」
「……」
今でも僕に対する忠誠よりは意地のほうが勝る弟の勢いに、この時も勝てなかった。
「…ただいま戻りました!」
武器も防具も持ってはいたけれど、この深淵では生きて帰ってこられるかはわからない。
だから、ベリトが無事に返って来た時には、心からほっとした。
ガラにもなく。
「おかえり。どうだった?」
「ええ、兄さんの仰っていたとおり、強い者ばかりでした。それに、みんな血の気も多い。気が抜けない場所でした」
「そうだろうね」
「でも、力一杯戦えましたので楽しかったです。兄さん、明日も行っていいですか?」
「………」
お前の血の気のほうが多いよ、と言ってやりたかった。
「…油断は隙を生む。隙は即座に死を招く。それを忘れないと僕に誓えるなら好きにすればいい」
「わかりました。ありがとうございます!」
「それと、あんまり騒がない。敵を呼び寄せるぞ」
「はい!」
次の日から、ベリトは真っ赤な鎧と真っ赤な馬で、闇の中を戦いに出て行った。それはとても似合っていたし、日増しに強くなっていったから僕としても喜ばしかったが…。
一日の終わりに、剣までも鎧と同じ色にして帰って来るのには眉を顰めた。
「…また殺したのか?」
「ええ、向かってきましたので」
「あまり血の香を漂わせないほうがいい。呼ばぬ者を呼びつけて体力を消耗するぞ」
「わかっていますよ」
笑顔だけはいつまでも変わらず、しかし浴びて帰る血の量だけは増えていった。
「ベリト、お前はどうしてそんなに荒っぽい戦い方をするんだ?」
「荒っぽい、とは?」
「剣を派手に振る舞い、魔法ではなく物理的な力で相手にとどめを刺しているだろう」
「ええ」
「なぜだ?」
「それが私の戦い方ですので」
「それにしては…」
「なんです?」
「いや、何でもない。剣が通用しない相手もいるんだ。それにだけ気を付けてくれ」
「はい」
血が見たいだけの戦い方をしているんじゃないか。
「…デビルチルドレン?」
「ああ。千年周期でやって来るメシアの事だよ」
「メシア…ですか」
「彼らを導く間、僕はここをあけるから、その時は頼りにしているよ」
「お任せ下さい」
世界が終わるのか繋がれていくのか。
たとえどちらになろうとも、僕らはこの闇にとどまり続けるだろう。
そしてこの弟も、変わらず血に塗れた日々を送って行くんだろう…。
「やれやれ、世界は救われたようだよ」
「良かったですね」
「いや、救われたのは世界だけだ。そこで生き続ける者たちは、まだ救いを得てはいない」
「結局は何も変わらず、ですか?」
「それは滅んでいたとしても変わらないよ」
「デビルチルドレンは?」
「成長した。…もしかしたら、そういう小さなことは大きく変わっているかもしれないね」
本当に変わってほしい事は、何一つ変わってはいない。
「…ベリト」
「なんですか?」
「お前が血を浴びる事には、もう何も言わないよ。でも…」
「……」
「僕の知らないお前にだけは、なって欲しくないんだ」
「…はい」
僕も生き血を飲むのは好きだ。臓物の料理だって食べる。
でも、それは食欲という生存条件の一つを満たすためであって、殺す事が目的ではない。
趣味、というもので片付けるにしては大きすぎる代償を、快くは思えなかった。
「兄さん」
「なんだい?」
「どうすれば、私は貴方の望む私になれますか?」
「…どういう意味だい?」
「私は兄さんの力になりたいんです。何なりとお申しつけ下さい」
「……お前…」
結局の理由は僕だった。
「…お前はお前でいてくれればいい。ただ一つ僕がお前に望めるなら、センスのない僕の代わりに美味しい料理を作って欲しい」
実際、弟の料理は美味しいのだ。そして僕は料理が下手なのだ。
…本当に。
「兄さん」
「なんだい?」
「剣の練習にお付き合い願えますか?」
「いいけど。外回りはいいの?」
「ええ、食料庫が不足したら行きますよ」
「わかった」
僕も剣技は得意なほうではないけれど、それでも弟と互角である。
そのうち抜かれるだろうなと思いながら、彼の変化を純粋に喜んだ。
「あれ?ベリト、鎧はどうした?」
「もういいですよ」
「…お前、誓いを忘れたか?」
「いいえ。ですから、危険な戦いはしません」
「……本当だね?」
「はい。兄さんは私の誇りです。その貴方に嘘は言いません」
「…わかった。行っておいで」
「はい」
赤いダブレットにマントを羽織り、それきりずっとその衣装で弟は戦いへと出向いた。
怪我の量は増えたが、剣を染めて帰ることはなくなった。
時たま、僕のために臓物や目玉の類を持ち返るときは除いて。
「…デビルチルドレンが?」
「早いよね。もうそういう時期なんだ」
「兄さんは、また地上へ行かれるのですか?」
「うん。ちょっと寄り道しながらね」
「…あの、王の所へですか?」
「今度のメシアは彼の子らしいから、ちょっとからかうのも兼ねて」
「でも幽閉されたと聞きますよ?」
「だから、それもからかうんだってば」
「…場所はご存じで?」
「ダークパレスで、ありったけの大声出せば、どこにいても聞こえるんじゃない?」
「……城中に恥をさらす気ですか…」
「楽しみだなー♪」
「…お気をつけて」
「うん」
送り出すときの不安はわかっているつもりだから。
帰るべき家族の元へ、無事に帰ってくるよ。
−FIN−
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