7 また会う日を楽しみに(ネリネ)





 二人のメシアが生まれたという知らせを受けて、ゼブルは地上にやってきた。転移装置は静かな神社の影にある。そこから辺りをうかがうと、どうやら季節は冬のようだった。一人目のメシアは夏に、二人目のメシアは冬に生まれたという。対のようだとゼブルが思っているとそれぞれ性別も逆で、彼にはますます一対の存在のように思えた。
「…カナメさんが怒っていませんように」
 ゼブルは神社の社に賽銭は入れずにつぶやくように願うと、背負った荷物から手紙を取り出した。一人目のメシアの母親が住むマンションの地図が同封されている。彼が手紙を受け取ったのはつい昨日だった。日付は夏になっている。地上から魔界への手紙が届くのは恐ろしく遅い。怠け者の配達魔にあたると、地上の時間にして半年に一度しか配達されない。その配達のタイミングに上手く乗ったのか、二人目のメシアの母親からの手紙の消印はちょうど先週になっていた。
 ゼブルはまず一人目のメシアの家へ向かうべく地図を確認する。遅くなった理由はともあれ謝り倒して祝いを述べなければならない。ルシファーの代わりに殴られることも想定しなければならない。家族と縁を切った女性が、離婚した夫の子どもだと装って一人で出産と育児をするのはさぞ難儀だっただろう。
「…怒っててもいいから殺されませんように」
 ゼブルは願い事を言い換え、地図の神社から彼女の住むマンションまでの道を目で追う。以前訪れたマンションとは違うようだ。ルシファーからの支援を受けて家族で住める部屋に越したのだろう。神社から意外と近い。子どもの姿であっても十分もあれば着きそうだと思われた。
 さて行くかとゼブルが社に背を向けると、ちょうど境内に入ってくる女性がいた。
「あら」
 女性が先に声を上げた。きれいな黒髪は、光に当たると茶色に見える。暖かそうなコートに身を包んで、同じく暖かそうな服を着せられた赤ん坊を抱いていた。勝気そうな瞳は相変わらずだが、棘が消え、とても穏やかなまなざしをしていた。
「ゼブルじゃないの。久しぶり」
「お久しぶり、カナメさん。お散歩?」
 ゼブルはひらひらと片手を振る。要はゆっくりと歩み寄り、社を見上げた。
「ここはなんだか気持ちが良いから時々来るの。あなたはどうしてここに?」
 聞かれてゼブルは頬を掻き、手紙を掲げた。
「…出産のお知らせが昨日届いて…急いでお祝いに」
 すると要はくすくすと笑った。
「ルシファーとの文通が続かないわけね。どうもありがとう。うちに寄って行かない?」
「迷惑じゃない?」
「お医者さん以外と話したいのよ。お茶しか出せないけど、いらっしゃい」
「もう帰るの?」
「こんなに寒い日にこれ以上出てたらこの子が風邪を引いちゃうわ」
「…きみの子なら風邪は引かないよ」
「あらゼブル、踏まれたい?」
「遠慮する」
 少し笑いあった後、二人は要のマンションに入った。こぎれいな造りで、大所帯は入れないが母子家庭には十分な部屋だった。子どもは要がクッションに寝かせると、少しぐずったあとにすやすやと眠ってしまった。ピンクの柔らかそうなパジャマに包まれた丸い顔を見ながら、ゼブルが口を開く。
「女の子?」
「そうよ」
 日本茶をゆっくりと急須に注ぎながら要が答える。ゼブルが持参した羊羹が二人の間にはすでに並んでいた。
「そんな気がしてた。可愛いね。名前は?」
「未来、よ」
「ミライか…素敵だね」
 ゼブルは本心から微笑んだ。この生まれたばかりの赤子はメシアだ。きっと自らが未来となり、道を切り開いていくことだろう。
「それで、何の用? あなたがお祝いと羊羹のためだけに来たとは思えないわ」
「…あなたは恐いよ。本当に」
 ゼブルは小さくため息をつく。そうして、ポケットから小さな包みを取り出した。
「これをあなたと、ミライへ」
 要は黙って包みを受け取り、開いた。中からは丸い宝石が現れた。
「…僕たちは、その宝石をヒトミと呼んでいる。人間が魔界に来るためのパスポートみたいなものだと思ってくれればいい。…来るべき日に、ミライに渡して欲しい」
「…わかったわ」
 要は小さく肯いて包みを元に戻し、手の中に握った。
「…ねえゼブル。私たちはあとどれくらい一緒に暮らせるのかしら。未来にはたくさんのことをしてあげたいの。全部できるだけの時間はあるかしら」
「旅立ちの日まではあと十年くらいあるはずだよ」
「…そう」
「あまり気負わないほうがいいんじゃないかな。きみのことだから、家でできる仕事だとかしているんだろう?」
 ゼブルは部屋の隅においてあるデスクをちらりと見遣る。スチール製の実用的なもので、パソコンと電話が乗っている。
「…ええ。仕事も子育ても思ったより大変だけど、とても楽しいから平気よ。ただ、誰とも話せないのがつらいわね。あなたが来てくれて本当に良かったわ。これからもいらっしゃいよ。この曜日ならたいてい忙しくないから」
「…次に会えるのは、この子の旅立ちの日になるかな」
「…そう」
「ごめんね」
「気にしないで。あなたもルシファーみたいな高位悪魔なのでしょう? やることがあって当然だわ」
「よく知ってるね」
 ゼブルは目を丸くした。要はくすりと笑った。
「本が好きな人ならだれでも知っているわよ。おかわりはどう?」
「ありがとう、でもいいよ。これから行かなきゃならないところがあるんだ」
「残念ね。気をつけて…ってあなたには無用な気遣いね」
「そうだね」
 笑ってゼブルは立ち上がる。
 玄関を出るときに、部屋から未来の泣き声が聞こえてきた。
「あら、起きちゃったわ」
「じゃあ、さようなら。ミライによろしく」
 ゼブルは片手を挙げて要の部屋を後にした。そしてマンションからしばらく行ったところで、別の手紙を取り出した。もう一人のメシアの母親からの手紙だ。番地を見るとマンションから近いようだ。ゼブルは彼女に渡す包みを手に握った。こちらにはきれいな角が入っている。もう一人のメシアがいなかったら、さきほどの要にどちらも預ければ良かったものだ。しかし、今期は二人のメシアが生まれた。それが何を意味するのかは彼にもまだわからない。ただ、とても嫌な予感がするだけだった。