10.あなたを守りたい(エンゼルランプ)





「…僕って、お人好しだよね」
 ゼブルは、一つため息をついた。彼の傍らでは、弟のベリトとフェゴールが、そうだそうだと言いたげに、彼を見つめている。
 ゼブルの手には、2通の手紙と、1つの小包があった。
「兄貴に使い走りを頼むなんて、ろくな奴じゃないな」
 フェゴールは、ゼブルが手紙を読み上げると、憮然として言った。差出人が女性であると知って、語気が荒い。ベリトの方は諦めたような顔で、手紙と兄を見比べている。
 1通目の手紙には、丁寧な女性らしい文字で、こう書かれていた。
『娘の5歳の誕生日に、ヒトミをあげました。私の役目はここまでです。あとは世界の力が私たちに働くのを待ちます。…娘には、あなたの力が必要です。頼りにならない父親の代わりに、どうかこの子を導いてください』
 そして、2通目の手紙は、小包とともに送られてきた。送り主の住所は、病院になっている。整っているが、弱々しい筆跡で書かれている。
『お願いがあります。頂いたツノをお返しします。刹那の旅立ちの日に、どうか届けてやってください。私はもう長くありません。あと一月ほどで、彼女のあとを追うでしょう。…私は地獄に参ります。子供たちをよろしくお願いします』
 小包には、ゼブルがカイに渡したはずの、輝くツノが入っていた。
「兄上」
 ベリトが静かに口を開いた。
「あなたのことですから、何もかも面倒を見るおつもりなのでしょう。…私たちは止めませんが、一つだけ、任せていただきたいことがあります」
「…なんだい」
 ゼブルは視線を動かさない。顔から一切の表情を消して、手紙の文面に釘付けになっている。
 ベリトの言葉を、フェゴールが継いだ。
「兄貴がガキの面倒を見ている間、ディープホールは俺たちに任せろ。魔界中を回りながら守れるほど、ここは浅くない」
 ゼブルは目を見開き、フェゴールとベリトを交互に見る。ベリトは笑みを浮かべた。
「私たち二人で決めました。ゼブルの留守に深淵を攻めようとする愚か者がいないとも限りません。あなたの手ほどきでつけた力、存分に発揮して打ち払います。安心してお出かけください」
「…手紙が来なくなって、絶対行くって顔してたからな。こっちはそのつもりで鍛えてたんだ。任せられないとは言わせねえぞ?」
 弟たちの言葉に、ゼブルの表情がふと緩んだ。
「…ありがとう」
 共闘していたルシファーは捕らえられ、メシアの候補となっている子ども達を導く役目は、彼の一手に託されていた。しかし彼自身は、世界を監視するという使命の下、あまり派手に動き回ることができない。子ども達を見守りながら、世界のバランスを察知し、闇の中で生き抜いてきた悪魔たちを従える。…あまりに重責だった。
「お前たちがいてくれて、僕は本当に幸せだよ」
 ベリトとフェゴールはかすかに笑う。
 そして、兄弟たちは視線を手紙に戻し、2通目を、再び目で追う。
「…彼女のあとを追うでしょう」
 カイが指す彼女という存在に、彼らが思い当たるのは、一人しかいなかった。1通目の手紙に目をやる。カイからの手紙より、3週間早く送られている。送り主は、カナメ。
 ゼブルはちょうど2週間前に、異変を感じ地上を訪れていた。カナメと娘のミライが住んでいたマンションの前には、黒い服に身を包んだ人々が、沈んだ顔をして集まっていた。彼自身はいつもの緑の服装で、まったく関係ない振りをして、近くを通った。
 保育園に預けたミライを迎えに行く途中、車にはねられたという。冷たくなった母の膝にすがって、ミライは呆然としたまま、葬儀の日を迎えた、というところまで聞き取り、ゼブルは地上をあとにした。
 カナメが死んだ事故に、何かの力が働いたのか、それは誰にも分からないことだった。
「…カイが死んだ6年後に、僕は動く」
 ゼブルは静かに宣言した。
 ミライもセツナも、10歳を迎える。それが、世界のプログラム決定を引き延ばせる限界だ。
「わかりました」
 弟たちがゼブルに肯く。
「…子供たちが、ラグナロクを選んでくれるとは限らない…」
 ゼブルは静かな声で言う。
「世界がもし、終ってしまっても、僕にはお前たちを守ってやれる力は…」
「兄上」
「兄貴」
 ベリトとフェゴールの声が重なる。
「それはお互い様です」
「兄貴は俺たちを守れないけど、俺たちも兄貴を守れない。なるようにしかならねえよ」
「…そうだね」
 ゼブルは小さく肩をすくめる。
「じゃあ、せいぜい働こうか。…世界に希望が戻るように」